自由詩
規則的な韻律や押韻、決まった連の形式をもたずに書かれる詩。
最終更新自由詩とは、伝統的な韻律、押韻、決まった連の形式といった制約から解き放たれた詩のことです。あらかじめ決められたリズムのパターンや行末の押韻には従わず、話し言葉の自然な抑揚、ページの上での行の並び方、言葉と言葉のあいだの音の関係から、その音楽を引き出します。「自由」という言葉は誤解を招きかねません。自由詩は形をもたないのではなく、自らの形を内側から生み出す詩であり、一篇ごとに、その内容に最もふさわしい構造を見つけていくのです。改行、余白、リズム、繰り返し、文の組み立てのすべてが、自由詩を書く詩人にとって構造の道具になります。日本でも、萩原朔太郎らによって口語自由詩が切り開かれました。
英語の自由詩の父と広く見なされているのは、ウォルト・ホイットマンです。長くうねるような行と、アメリカの暮らしを列挙していく『草の葉』は、当時の韻律の伝統と決定的に袂を分かち、その後に続くすべてのものへの扉を開きました。T・S・エリオットの『荒地』は、自由詩を使って、近代の幻滅を映し出す断片的で多声的な構造をつくり上げています。その後、アレン・ギンズバーグは『吠える』で自由詩の広がりを預言者のような切迫感のために使い、メアリー・オリヴァーは一見素朴な自由詩で、自然界を正確さと精神的な深みをもって見つめました。今日では自由詩が英語の詩の主流ですが、定型詩もときおり復興を繰り返しています。
自由詩をうまく書くのは、定型で書くよりもむしろ難しいと言えるかもしれません。韻律や押韻に頼って自然に音楽を生み出すことができないからです。改行の一つひとつが、意図的な選択でなければなりません。句の途中で改行すれば句またがりと前へ進む勢いが生まれ、自然な休止で改行すれば強調と区切りが生まれます。自由詩は声に出して読み、そのリズムに耳を澄ませましょう。決まった韻律がなくても、効果的な自由詩には、行き当たりばったりではなく意図が感じられる抑揚があります。熟達した自由詩の詩人たちが、繰り返しや対句、行の長さの変化をどう使って構造をつくっているかを研究しましょう。自由詩の「自由」とは、いい加減に書いてよいという許可ではなく、一篇一篇が求めるただ一つの形を、自分の手で生み出すようにという招待状なのです。