パレンセティカル(せりふに添える指示)
脚本のせりふのなかに括弧で書き添える短い指示。せりふの言い方や、それに伴う動作を示します。
最終更新パレンセティカルとは、脚本で人物名とせりふのあいだに独立した一行として置かれる、括弧でくくった短い指示のことで、日本の脚本でいえばせりふに添える短いト書きにあたります。せりふをどう言うか、あるいは言いながらどんなちょっとした動きをするかを示します。よく使われるのは、「(皮肉っぽく)」「(ささやいて)」「(怒って)」のように口調を示すものや、「(目をそらして)」「(小声で)」「(電話に向かって)」のように短い動作を示すものです。標準的な英語の脚本書式では、パレンセティカルは人物名とせりふのかたまりのあいだに字下げして置かれ、一行にまとめて、できるだけ短く、ふつうは数語以内に収めます。パレンセティカルは、脚本の技術のなかでも微妙な位置にあります。これは演出ではなく、意味をはっきりさせるための道具であり、正しく使うには、書き手が決めてよい領域と、俳優が自由に解釈する領域との境目を理解しておく必要があるのです。
パレンセティカルを使ううえで最も大切なのは、控えることです。経験を積んだ脚本家は、狙った言い方がせりふの表面上の意味と食い違うとき、つまり言葉だけでは読み違えられるおそれがあるときにしか、パレンセティカルを使いません。人物が「大丈夫」と言っても、実は打ちのめされていることが場面から明らかであれば、「(かろうじて持ちこたえて)」と添えることで、読み手はサブテキストを確実に受け取れます。逆に、人物が「この家から出ていけ」と言う場面で、その怒りがすでに文脈やそれまでの行動から伝わっているなら、「(怒って)」と書き足すのは余計です。せりふと状況が、もう十分に働いているからです。パレンセティカルだらけの脚本は素人の書いたものの目印で、書き手が自分のせりふを信じきれていないことを示しています。プロの俳優はパレンセティカルをまったく無視して、稽古と本番を通じて言い方を見つけることを好む場合が多く、パレンセティカルが多すぎると、本来は演じ手のものであるはずの解釈を書き手が先回りして決めているようで、見下されていると感じる俳優も少なくありません。アーロン・ソーキンやクエンティン・タランティーノの脚本にパレンセティカルが驚くほど少ないのは、せりふのリズムも文脈もあまりに精密なため、言い方が言葉そのもののなかにすでに含まれているからです。
パレンセティカルを使うときは、役に立つものだけを、簡潔に書きましょう。一つのパレンセティカルが短い一句より長くなってはいけません。動作や指示を説明するのに一文まるごと必要なら、それはパレンセティカルではなく、ト書き(アクション行)に書くべきものです。誰に向かって話しているのかがほかではっきりしないときに話し相手を示したり(「(サラに)」「(トランシーバーに向かって)」)、言語や話し方が切り替わることを示したり(「(スペイン語で)」「(手紙を読み上げて)」)するのに使いましょう。せりふそのもので伝えるべき感情を説明するのには使わないでください。長い身体の動きを書くのにも決して使ってはいけません。それは場面の描写に書くべきことです。役に立つ確かめ方があります。パレンセティカルを消すと読み手がせりふを誤解してしまうなら、残しましょう。なくても正しく読めるなら、削りましょう。パレンセティカルは絵筆ではなく、メスです。その力は外科手術のような精密さにあります。うまく置かれた「(やさしく)」一つで、脅しに聞こえたせりふが優しいせりふに変わりますし、「(顔を上げずに)」一つで、人物がわざと感情から身を引いていることが見えてきます。控えめに、目的をもって使えば、パレンセティカルは脚本家の技術を支える、目立たないけれども欠かせない道具になります。