エッセイ(随筆・小論)
書き手が論証や思索、個人的な体験を通して、ある主題を探っていく短い散文作品。
最終更新エッセイは、文学のなかでも特に自由度が高く、長く生き続けてきた形式の一つです。書き手が論証、語り、思索、分析を組み合わせながら、ある主題を探っていく比較的短い散文作品を指します。この言葉はフランス語の「essayer(試みる)」に由来し、その探究の精神は今もこの形式の中心にあります。エッセイは、確定した結論を届ける報告書ではありません。問いを考え抜き、考えを試し、主題の周りをさまざまな角度から巡っていく、動いている思考そのものです。エッセイが読者に約束するのは情報ではなく、知的で真剣な感性がページの上で考えていくさまに立ち会う体験なのです。日本にも『枕草子』や『徒然草』以来の随筆の伝統がありますが、ここでいうエッセイは西洋の系譜にあたります。
近代的なエッセイを生み出したのは十六世紀のミシェル・ド・モンテーニュで、その『エセー』は今もこの形式の試金石です。くだけていて、脱線が多く、正直で、哲学から私事まで自由に行き来します。ヴァージニア・ウルフのエッセイは『普通の読者』などにまとめられ、言葉とイメージへの小説家ならではの注意深さをノンフィクションの文章にもたらしました。ジェイムズ・ボールドウィンの『アメリカの息子のノート』は、個人の語りと政治的な分析を織り合わせるエッセイの力を示し、告白であると同時に告発でもある作品を生み出しました。現代では、レスリー・ジェイミソン、ロクサーヌ・ゲイ、ブライアン・ドイルといった書き手が、この形式の可能性を広げながら、その本質は保っています。大切な何かについて注意深く考え、深く感じる、一人の書き手の声です。
力のあるエッセイは、本物の問いやこだわりから始まります。すでに答えのわかっていることではなく、考え抜かなければならない何かです。最良のエッセイには発見があります。書き手は書く過程で何かを学び、読者はその学びが展開していくのを目撃するのです。エッセイは中心となる問いを軸に組み立てますが、脇道や連想をたどることも自分に許しましょう。エッセイの力は、思いがけないつながりを明らかにするところにあることが多いからです。抽象的な考えは、具体的な細部でつなぎとめましょう。悲しみについてのエッセイは、クローゼットに残された一足の靴の描写によって力を得ます。結びは、きれいにまとめた要約ではなく、たどり着いた洞察の瞬間や、外へと開かれた問いにしましょう。ページを閉じたあとも読者が持ち帰れる何かを残すのです。